ここ数年一人だけでいる時間というのがなくなった
常に誰かが横にいる
常に誰かの目線がある
常に何かの視線を感じていきている
そんな生き方をしてきました
ふと周りにだれもいない時間がおとづれた
外ではミンミンゼミがなき・・・
犬の五郎とメリーがじゃれあっている・・・
おとはそれしか存在しないのである
なんという無の境地だ
不思議な感覚だ
こんなときだから自分の内面を見つめなおしてみやう
ふとそんなことをおもった
なぅ僕の感覚は日々を忙殺されるがごとしの情報の流れをどう処理解析していくのか
いまはこれにつきる
様々なマネジメントと創造されていくビジネスコンテンツと日々いかに愉快にいきることができるのか
それしか考えていない。。。
勿論根底には自分の幸せがベースにある
こうやって人が集うやうになってくると自分のことがどうしてもないがしろになりつつあるのが世の常だが
僕はそうはありたくない
常にどまんなかに自分がいないと重心がブレる
重心がぶれるとストレスをひきおこす
ストレスから妬みや嫉妬がうまれる
そうそれが人間社会である
そこの部分で多分みんな人生の大半を使い果たしているきがする
ブレない生き方とはなんぞや!
円の中心にいることである
さすればブレることはない
自分が真ん中にいたいがために自己主張が過ぎたり過ぎなかったり・・・ここが無心の境地
”百忍通意” ~ひたすら忍べば意は必ず通じる~
人間は神ではない
あくまで飯食うてくそして涙してわらって酒を飲む。。。みな同じである
その同じ人間の中でもいろいろいてるわけで
そのいろいろを日々観察しまとめあげていける人財づくりがなぅ大事なことなんだと考えている
アドルフ・ヒットラーの幼少期からの映画”Hitler”をみておもった
彼のやったことは時代の流れの中でもずば抜けて歴史に残るべき残虐きわまりない事象である
そこではなくて・・・
彼の思考回路に非常に惹きつけられたのは事実である
別に僕は独裁者でもなんでもない
どちらかというと共感を集めて歩く伝道師たる想いで日々行動している
ただ・・・
物事を遂行していく上での彼のやり方が今の時代にはとても必要だと僕は感じている
なぅ全国の自治体でのムーブメントをみても結局は”人”ありきなのである
場所でもなく・・・
産物でもななく・・・
そこに誰がいるのか!
ここに焦点があてられるなぅなのです
人がいるところに志が生まれているのが最もわかりやすくかつ物事を遂行するに値するそんな時代にはいっているのである
こういった流れの中で人間一人ひとりが自分のやるべき使命を認識できた瞬間!!
世の中は変革するのである
皆それが何であるかを見極めることができない
それが現実なのかもしれない
だからできそうな人の下に人は集うのである
ここで一大ムーブメントをおこしているのがソーシャルメディアなのだろうか
誰しも発信源になれるかもしれないという夢を叶えるツール
人々は発信源になるべく日々駄々漏れしながら自分の人生をさらけだして共感を求めている
いい意味で素敵なことだとおもう
悪い意味では他人のことなんてことどうでもいい・・・
取捨選択の世界にはいっちゃったわけで
ここでも注目を集める人生とそうでない人生にわかれるのである
結局人というのは勝手なものなのです
だからこそそこには説得力と言うなの実践力が兼ね備わっていないと発している情報がいかに陳腐であるかが見透かされてしまう世の中なのである
ヒットラーという人間の生き様を自分に投影し今一度己にしかできないことを考える時間にしやう・・・
そんな昼下がりのたったひとりの時間を堪能したいとおもいます
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