ここは美作市上山といういわゆる中山間地です。
かつて100町歩8300枚もの棚田がつくられていたまったく圃場整備されていないという希少価値をもった土地です。だから観光地化もされず担い手もいなくなって現在のような耕作放棄地が大半を占める空間でした。たまたまこちらに移住してきた静軒叔父貴がこつこつと二枚の棚田をやりつつ村人と水路掃除をやりつづけていたのがきっかけでこの地に大阪からよそ者が通いだし四年が経過し、今年8月に正式にNPO英田上山棚田団という活動が一つの成果となって現在にいたります。
こういう水路を利用した田圃というのは水利権というものが歴史上脈々とうけつがれてきたわけです
当然に村人同志にも色々歴史があるわけです。特に地区をまたぐとこれまた色々あるわけです。当然に隣近所でも色々ありますそういう意味でも段々と田圃を手放し水路管理が滞り・・・耕作放棄地が増えてきたという歴史がここにはあります。
はたしてこれをこのまま放置しておいていいものだろうか・・・みてみぬふりをしていてもいいものだろうか・・・日本人として生まれ日本の文化が葬り去られようとしている現状を自分の仕事の忙しさをいいわけにしてほったらかしにしておいていいものだろうか・・・そんな感情にとらわれてきたのがこちらに移住するきっかけにもなったと思います。人としてどう生きるべきなのか!日々問答の繰り返しです。生きるためには稼ぎも必要です。当然に村の仕事もこなしていく必要があります。結果として村だけでこの環境をまもっていけるものではありません。これはどこの地域も同じ課題を共有しているわけです。この課題を解決するにはやはり都会のチカラを最大限に利用する必要性があるわけです。これを誘導できるのは都会に住んでいた経験をもった人間です。田舎の人にはそういう縁脈がありません。だとしたら田舎としてできることは受け入れる土壌をまずはつくっていく努力をしなければいけません。それができるのは一度田舎から都会にいって戻ってきたUターン者が一番向いているのだと懐います。
上山でいうとこばりんこと小林さんがその位置づけにはいります。梶並でいうと富阪会長です。東粟倉でいうととっちゃんこと栃山さんですね。
こういう人達と都会の交流人口がミックスされることによる波及効果を活用し共感主義の元協創社会が構築すればこれに勝るものはありません。そのうねりの成功例が上山での棚田再生活動になっているわけです。
ただ・・・ここでもう少し考えないといけないことがあります。自分たちが活動している地域だけメジャーになればいいというわけではありません。こういう事例を地域相互に連携をとっていけるように活動するのが本来の活動の趣旨なわけです。それをするためにはNPO支援センターの様な横の連携をはかる仕組みが必要です。地元~活動に参画する交流人口~NPOや財団などの各種組織や団体~企業~地方自治体~国が連携できて初めて真の活用が出来るというものです。
こういったことをシステム化する為にこの”英田上山”なる空間が利活用されれば面白いと思うのです。
普通に若者が楽しく生活していける環境づくりのモデルとして確立できるように!
ここ最近の上山の様子はこちらを御覧くださいませ。
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先日宝塚メディア図書館との連携による上山棚田稲刈り入門編を開催いたしました!
9月15日瀬戸内海放送にて上山での稲刈りの様子が特集で放送してくださいました。
http://www.ksb.co.jp/newsweb/indexnews.asp?id=30486
みれない方はこちらでどうぞ~
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