朝からベネッセコーポレーションの方々と話をしながら上山集楽での理念みたいなものを自分の中で意識しながら反芻した気がする。
僕も現場監督という技術・人心掌握系の職人だったわけですが・・・
それこそ無意識のなせる技をほんとにたまにではありますが自分の中で見た記憶がなんどかあります。
よく僕は”突き抜ける”という言葉を発しますがそれは人間にとって非常に大切なファクターだと思っています。
恐らくほとんどの人は人生の中で突き抜けるまでやり切った感を味わった人はいないとおもうからです。「これやってみやうかな?」って思っても・・・
”できそうなことをやるひとはおおくても”
”やってみやうとおもったことをそのまんまやってみる”人は案外すけないことが多々あります。
人の流れをみて行動したり、自分が軸にないからどうしても流れに身を任せるみたいな・・・
果たしてそれでいいのだろうか。
自分の人生といういものを自分で演出しないでいったい誰にどうしてほしいんだろうか。。。
そんなことを最近特に考えています。
特に僕はチームワークが苦手な分野の人間です。
基本個人プレーが向いてると思います。
だから余計にそうおもうのかもしれません。
世の中は企業や組織の枠を超えた連携を模索しています。
なになに会社が頭はる時代ではないのです。
なになに会社のこの人!にフューチャーされるのです。
政治でも同じです。
自公民政権が日本を動かすわけではないのです。
頭をはる人財が組織の色を創り国家を形成し、それを市民が誇りを持ってもりたてていける国というなのコミュニティーを創造するべきなのです。
その細胞の一つが僕がいるやうな中山間地であり、それらが有機的にアメーバ的組織になっていくとき多分日本・・・しいては世界の未来は笑顔あふれる社会になるんだとおもいます。
こんな大層な事を考えているのも自分が都会ではなく田舎という国の最小単位に身をおいている事がこんなことを考えさせる機動力になっているのです。
個人という単位から細胞分裂を繰り返し国家という巨人を創りだしていく・・・
その生成過程を自分なりに協創ガバナンスと定義付けている気がします。
赤磐市に五年前に廃校になった備作高校がございます。
これを今井上市長に進言し協業しながら国家を形成していく個のクオリティーを最大限に、より短時間で発揮できる人財育成の場”フューチャーセンター”を創ろうとしています。
ここでは誰かが提唱したものをその理念に基づいて創りあげていくのではなく、作りながら変化してカタチになっていく新しいカタチの空間創造を考えています。
なになに在り来ではなく。。。日々必死のパッチで創りあげていったこんなカタチになっちゃったw的な未来を予測できない且つ想像していたものをはるかに超えるであろう空間創造を目指したい!
当然ここには『楽しい事は正しい事!』でも楽ではない・・・が大前提ではありますが。。。
この記事で国村さんが話しをしておられる
【若い職人を指導するときに、たとえ失敗して製品にならないとしても、とにかく最後までやらせる。脳科学的に言うと、最後まで完結して初めて強化学習が成立する。最後まで仕上げないと学べないことがある、というのが非常に大事なことだ。】
自分への戒めの意味も含めこれから僕らが創造していくコミュニティーの在り方というものについて気づきの言葉を頂いたことに感謝します!
”自己主導主義”と”繋がる”というある意味大局的なものを融合させるスキーム創りが私の残された人生のナリワイにしたいとおもいます。
職人が無口な理由
~板金職人・国村次郎~
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080717/165613/?rt=nocnt
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